開催地にちなんで「カンプノウの悲劇」とも呼ばれ、大会史上稀に見る逆転劇が生まれた1999年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝、バイエルン・ミュンヘン対マンチェスター・ユナイテッド。1点をリードして勝利を目前にしながら、アディショナルタイムの2失点で優勝を逃したバイエルンのオットマー・ヒッツフェルト監督(当時)は、5月24日に放送された『Football’s Greatest Managers Hitzfeld』(AbemaTV)の中で、当時の悲痛な気持ちを「失意の底」とまで語っている。
番組では、異なる2つのチームでチャンピオンズリーグを制するなど数々の栄冠を手にした稀代のドイツ人指揮官、ヒッツフェルトの輝かしいキャリアを振り返る。本人のほか、彼の右腕だったミヒャエル・ヘンケ、ヒッツフェルトがボルシア・ドルトムントを率いた時代にプレーしたポール・ランバートら当時のスタッフ、選手の声も交えて彼の指導哲学を浮かび上がらせていく。
ランバートは「彼がカッとなるのを一度も見たことがない」と彼の冷静さを語る。バイエルンの元FWカルステン・ヤンカーは「彼の発した言葉は常に的を射たものであり、選手たちは従うしかなかった」と評し、ヘンケも「常に紳士的で選手に説明する言葉を持っていた」と手腕を称える。
そんな人物が「頂点からどん底へ突き落とされたようだった」とまで表すのが、マンチェスター・ユナイテッドに失意の逆転負けを許した1999年のチャンピオンズリーグ決勝だ。手中に収めたはずのトロフィーを寸前で逃してしまったのだから、沈痛な思いは察するに余りある。ところが、彼の側にいたヘンケは「その時、ヒッツフェルトの本質を見た」と語る。
ヒッツフェルトはその試合後、「私は最も長いチームミーティングを開いた」という。そして、不運ではなくミスを犯したから負けたと選手たちに説いた。さらに「ミスをなくせば将来チャンピオンズリーグで勝てる」(ヒッツフェルト)と約束したのだった。その言葉は2年後に実現。名将の名将たるゆえんである。
さらに現役引退後、本来望んでいた教師ではなく指導者になるきっかけとなった理由や、2004年のバイエルン監督退任後に彼を襲った意外な心境など、貴重なエピソードが満載だ。
(Football’s Greatest Managers Hitzfeld/AbemaTVサッカーチャンネル)
(C) MP & SILVA
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